農は国の基

帯刀りんご農園の敷地内には初代農園主帯刀三津男の功績を讃え、
顕彰の碑『農は国の基』が建立されています。

碑文

帯刀翁は、明治三十一年、温村野沢帯刀宇近次の三男として生まれ、幼少より農業を好み、大正二年、県立上伊那農学校に入学して果樹を専攻し、卒業後は蔬菜の栽培を研究して新しい農業経営を志した。
偶を壮丁にして高田連隊に入営して下士官として服役、その後、同九年、穂高町古川福一郎三女さだえと結婚、同十一年、水田二町歩の贈与を受け、分家して念願のエンサン農場を創設した。
大正末期、国策として地元の小倉官林六五〇町歩が付近の七か村に開放されるに至り、室町地区に十五町歩を入手して大規模な専業農家になった。以来、養蚕を主体として年間千貫取りを目指すとともにりんご一町歩を栽植した。
昭和初期、糸価の衰えるに至り、更にリンゴ二町歩を増殖し、なお、ブドウ八反歩、桃一町四反歩を植えて果樹専業となった。
白桃は、東京市場でも珍しく高値を呼び、県内外から視察者が訪れるようになった。なお、梨・洋梨・桜桃・梅などあらゆる果樹の試作をも忘れてはいなかった。
発起人一同は翁の指導を受け昭和初期より 果樹に取り組みアルプス山麓百万箱産業の基礎を作ることが出来た。
こうした翁の常に新奇を求める精神と決断力が実を結んだのである。 晩年は病気により七三歳をもって没したが、まことに積極多彩な生涯であった。
ここに翁の偉業を讃えると共に後世に伝えるべく 同志相寄り記念碑を建立した次第である。
平成元年五月十六日
発起人代表 務台哲男